You ARE special. DEAL WITH IT.

誰もが特別になりたがってる。誰が?君が!僕も?彼も、彼女も!もちろん私もだ!でも特別であることって、そんなに『特別』なことだろうか?
思うに、自分が特別だって主張するのって、insecureだからじゃない?そして、自分が特別じゃない(特別になりたい)って主張するのも同様の理由、不安からきてるのさ。特別である、なんて全然あたりまえのこと。つまり特別というのが希有だとか固有性ということを意味するのであれば、人間なんて一人一人違うわけで、その存在の固有性は特別としか云いようがない。その「何かでないもの」の中で「際立つ何か」でありたいなんて、なんていうかそうだなあ、ピーナッツの中ならスヌーピーになりたいとか、セサミストリートビッグバードになりたいとか、うーん全然巧い例えが見つからないけど、とにかく、そりゃビッグバードの方が台詞が多いかもしれないけど、全然オスカー・ザ・グラウチの方がクールだって思う人もいるわけで、とにかくなんていうか特別なんていう価値観は、極私的なものなんだ。だけどさ、私たちは特別に「なる」とか「生まれつく」だとか、そういう伝説をひっきりなしに頭のそばでがなり立てられて、すっかりそれを信じまってガタガタ震えながら特別になりたいならこうしなきゃああしなきゃって四六時中不安で失敗続きで、結局は自分ではない何かになるために、こうして命を削って努力してるわけだ。そいつがEVIL SYSTEMのやり方だからね。(シーッ!)
どうかしてるよ!
レディオ・ヘッドの歌にもあるでしょ、君はそのままでファッキン・スペシャル。いい加減、慣れたらどう?

*でも、どうしても誰かのことを「特別だ」って言いたい時、それは限りなく私的なコメントになる。その相手以外、誰にも言うべきじゃないよ。だって、それはつまり、「自分という固有性があなたという固有性に反応して仕方が無いのです」って意味の、ハードコアな愛の告白なんだから、ね。