Religulous

今、テレ東でやっててめちゃ面白い。「宗教」に関するアメリカのドキュメンタリー。まだ始まったばかりだけど、リバタリアン?のコメディアンが、「信仰」と「宗教」についてキリスト教イスラム教、ユダヤ教モルモン教の人々にとにかく疑問をぶつける。彼の姿勢は一つ。「宗教家は確信を与えるけど、僕が広めたいのは疑念だ」
神はゲイを嫌ってる?
キリストは金持ちになるのは悪くないと言ってる?

人々は主張の通りに聖書を理解し、その「真実性」が神を信じる根拠になってる。

COME ON!

神の言葉に異論があるんじゃない、なぜただ神を愛し信じる、理屈じゃないってシンプルな答えが出てこないんだ?なぜ、外的な根拠がないと目に見えないものは信じられないんだ?奇跡がないと、実在の証拠がないと、歴史的に正しくないと、その言葉が正しくないと、「神」を信じることができないんだ?

私は神を否定してない。奇跡も。でも、信仰のために集団化すること(まあ魔術的にそれが有効だというのは認めるが、そこには『目的』があって、集団の中に居る人はそれに気付いてないことが多いって事実があるのは知った方がいい)自分の意見を主張するために他者の権利を否定することは全く必要ないと思っている。新世紀の信仰とは、超個人的な問題であるべきだと思ってる。神を愛する人々が自然発生的に集まるのは素敵だと思うけど、神の代わりに生きてる人間を崇めたりはマジでナンセンス。ていうかキリスト(とか色々と有名な神様)って太陽のことだから。あ、言っちゃった。

あ、今番組の中で議員が「議員になるのに知能は関係ないよ」って言っちゃった。