この世で一番大事な「カネ」の話

母が買って来た本をパラパラとめくり、そのまま全部読んでしまった。

この世でいちばん大事な「カネ」の話 (よりみちパン!セ)

この世でいちばん大事な「カネ」の話 (よりみちパン!セ)

これはすっごーーく、素晴らしい本です。
お金については常日頃、考えさせられている。
それは折り合い、というかどう生きるかと稼ぎが直結してなかったり、
あるいはお金こそ自由になるために必要なものでもあり。
それに、格差社会とか言っちゃって、なんだかお金を持たないことが「悪」のような風潮であったり、云々。


先日この日記でアップした、アラン・ド・ボトンがTEDで行った講演の中に、
http://d.hatena.ne.jp/makirak/20100211/1265865230
昔は貧しい人々を呼ぶのに、「unfortunate」つまり不運な人々、という言葉を使ったが、
現在では「loser」と呼ばれてしまう、という話があった。
つまり、昔は「貧困」とは自分の手に余る人生の不確定要素も含めて引き起こされる事態であったのに、
今は全て、その本人の「実力」であるというレッテルが否応無しに貼られてしまうのだ。
(天の神様に責任を負わせることができたのに、今では全て本人の責任になる。
このへんは、バリー・シュワルツマンの「The Paradox of Choice」にも通じるところがあるな。)


純粋な実力社会というものはありえない。ランダムな不確定要素が多すぎるからだ。
だけど私たちは、何もかもが「実力」による結果に我々は生きている、と誤解したままでいる。
我々は人類史上初、我々以外を崇めない世代に生きている。
そこから嫉妬がはじまる!それは本質的に、我々は自分と似たものにしか嫉妬しないからだ!
トップに立つ人間の「実力」とやらが賞賛される反面、
トップに立たないことも実力である、と競争から転がり落ちた人間が、
その全ての責任を負わされるという、なんとも残酷なシステム!
強迫観念的に上をめざすことばかりが喧伝され、
それを当然の幸福が住む場所だと刷り込まれ続けていると、
一体自分の価値や場所はどこにあるのか、全然分からなくなってしまう。
誰もがスターになれるわけじゃない、というのではなく、
誰もがスターにならなきゃいけない理由なんて、一つもないというだけさ。


そこで。
ヒエラルキーのトップ、スターに神を据えてしまえば、人はもうあきらめるしかない。
神に嫉妬など覚えたりしないからだ、だって、自分と違いすぎるでしょ?
我々はすべて神の下にいるのだ、という認識の元であれば、
気まぐれな神の采配によって不幸に陥っているひとを見るとき、
私たちは(自分もいつそうなるのかもしれない、という自戒と安堵を込めて)かなり優しくなれる気がする。
それは私たちの姿でもある、と心から感じられるから。
手を差し伸べよう。


正直いって我々は、ギリシャ人たちが自然に霊性を見出したような
ビビッドで原始的なセンスと比べると、
洗練され過ぎていると同時に、鈍感すぎる。
ロックスターや俳優が出てくる寓話を毎日何度でも読むことができるけど、
そこからは何も伝わってこない。
ただ「ここまでおいで」ってだけだ。(どんなにグロテスクなニュースでもね)
デウス・エクス・マキナは死神だけ・・・なんてdepressingな社会なんだろう!
シンボルの奥にある物語にアクセスできにくくなっているんだ、
だから詳細ばかりがフォーカスされて、全体像が見えないようにしてある。
だから今の時代、ハイエラキーのトップに据えるものを考えるとき、もう地球上の何か、じゃ近すぎてダメだ。
あと、人間的な感情やら感覚を持っていると前提してきたシンボルも使えない。天使とか宇宙人とかもダメ!ださいし。
「きみに話しかける神」なんかじゃ、絶対に絶対にダメなんだ。
とんでもなく人間から遠く、壮大で、それが一インチ動いただけでもうボロボロ死んでいく、
でも見ることができて、全ての者が恩寵を受けているもの、そんな感じの存在がいいな。
・・・あ、太陽?


というわけで、ここに新宗教の設立を宣言する。
これは純粋な太陽信仰だ。
ミーティングや教典やお布施は一切なし。
(ミーティングがあるとすれば、それは君の恋人とのデートであり、
 教典があるとすればそれは君のお気に入りの本であり、
 お布施があるとすれば、それは君が大好きな人と最高の時間を過ごすために使われるお金であるべきだ)
人格化はゆるさない。太陽が好きなら、人格化しないで星の図鑑でも読んだら良い。
誰かと信仰について語り合うことも主張もいらない。解釈もなし。

ただこれだけ「太陽のもとでは一切が並列である」と考えながら陽の光を皮膚で感じること。(そのときは水も飲むこと)

君はそれだけで絶対に救われる。掬われても助けられ、自らを助け、他者を助けるだろう。
一週間でもそうやってみな、ぜったいに「自分だけ損するのはイヤ」なんて、二度と思わなくなるから。