なつやすみのかんそうぶん

持っているけどずっと読んでいなかった本を持ってきた。ミシェル・ウェルベックの「素粒子」。昨日、一晩夜更かしして読了。いやー胸クソ悪い本だ。ものすごく良く書いてあるのは認める。でもこの本が大好きな人とは友達になれない。愛と死と孤独と病と性への信仰について書いてある。そのテーマは人ごととは思わないし、書き手としての興味は持っている。小説として非常に高度だし読ませるし翻訳も素晴らしいんだけど、でも私はこの本が嫌いだ。ウェルベックは人間を憎悪してる。セリーヌだって世界を憎悪しているけれども、そこの出発点には希望や期待があった。その手の憎悪はある種のリズムを生むし、読み手の到達点は意外とポジティブな場所のような気がする。でもウェルベックの場合は、まず世界と同じくらいの大きさの嫌悪と憎悪と執着があって、それがバロック音楽のように絶望を淡々と展開している。アーティストの人格と作品には関係がないという人もいる。でも私は個人的に、人格と作品には密接に関係があって、そこで観客との相性というものが出てくると思っている。(だから当然万人受けなんて、それが真摯に書かれているならば余計にあるわけがないのだ)まあウェルベックは誰かがあんたの作品なんて嫌いだと云われてもどうだっていいんだろうという気はする。小説の書き手としての嫉妬はしないでもない。じゃあ自分ならどうやって書く?と考えていくとかなりワクワクする。もう持ってきた本を殆ど読んでしまったので、少し困っている。