考慮のワナ

今、すごい面白い本読んでるの。

奇蹟を求めて―グルジェフの神秘宇宙論 (mind books)

奇蹟を求めて―グルジェフの神秘宇宙論 (mind books)

ページをめくるごとに目から鱗がボロボロ落ちるのですが、こ、これは・・・と思った言葉。数日頭に残ってる。

『「考慮」こそが奴隷根性と依存のはじまり』

ほんとにそうだよね。

他の人々のことを「思いやってる」つもりでも。
実は、それって「自分でなにも決めてない」だけだったりする。

自分がどうしたいのかを伝える、って結構しんどいよ。
殆どの人は、自分がどう思ってるのかを伝えなくても分かって欲しいから、
自分も相手を「考慮」しようとする。
でもその考慮って、ほんとに相手の望むこと?
実際は、勝手に思ってるだけのことじゃない?

「どうせ無理だ」って思う時、
それは自分には能力がないってことじゃない。
大抵は、「考慮」してる。
他人の評価なんてもろ考慮だしね。

確かに、思いやりには想像力が必要だ。
でも。
それには情報を収集することが必須。
勝手に自分で想像して、
相手もそうだと決めつけるなんて、
そんなに何でもコントロールできるわけがない。
それは支配だよ。

自分自身に自由がない、って苦しんでるのに、
どうして相手の自由は尊重しないの?

自分がどうしたいのか、相手に伝える。(押し付けるんじゃなく)
相手がどうしたいのか、聞く。(考慮する前に、まずはただ聞く)

その二つをテーブルに乗っけてみたら、
そんなに難しいことなんてなくなるよ。

結局、望んでることはただのワガママだったと分かるときもある・・・

こんなに相手のことを思ってるのに、報われない!なんて思うの、
時間とエネルギーの無駄だし、疲れるよ。

感情が乱されそうになっても、
それに振り回されないほうがいいよね。

考慮をやめると、
感情に振り回されることがなくなってくるよ。